太初(はじめ)の時代、宇宙には何もなかった。星もなく、光もなく、時間の概念すら存在しない「混沌の虚空(こんとんのこくう)」だけが、無限の広がりの中に漂っていた。古事記の冒頭はこう語る――「天地初発之時(あめつちのはじめのとき)」。この言葉は単なる神話的な序文ではなく、宇宙の誕生という形而上学的な問いへの、日本神話独自の答えである。虚空の中に最初に芽生えたのは、形を持たない純粋な意志であった。宇宙造化の三神、天之御中主神(アメノミナカヌシ)、高御産巣日神(タカミムスビ)、神産巣日神(カミムスビ)が「産霊(むすび)」の力として顕現し、混沌に最初の秩序の種を蒔いた瞬間、宇宙の物語が始まった。
宇宙の「産霊(むすび)」の力が渦巻き始めると、混沌の虚空は徐々に形を帯びていった。古代の語り手たちはこれを「宇宙の卵(コズミック・エッグ)」の意匠で描いている。軽くて澄んだものが上昇して天となり、重く濁ったものが沈殿して地の素地となった。しかしこの「地」はまだ固まらず、海に浮かぶ油のように、あるいは星も持たぬ宇宙を漂う無数の銀河の種のように、ただ揺蕩(たゆた)っていた。この「漂う状態」こそが、宇宙が自己組織化する前の量子的な不確定性の時代であり、すべての可能性を孕んだ「ゼロの瞬間」の神話的表現なのである。
イザナギノミコト(伊邪那岐命)とイザナミノミコト(伊邪那美命)は、天の神々から「天の沼矛(あめのぬぼこ)」を授かり、天の御柱(あめのみはしら)の上に建てられた「天浮橋(あめのうきはし)」から、混沌の海へと矛を下ろした。この「天の浮橋」は単なる橋ではない。それは星と星を結ぶ星座の道、宇宙の座標系そのものを象徴する「天の経線(セレスティアル・メリディアン)」である。矛をかき回し引き上げると、その先端から滴り落ちた塩が積み重なって最初の島「淤能碁呂島(おのごろじま)」が生まれた。暗黒の宇宙に最初の星が誕生する瞬間のように、その島の出現は宇宙の歴史における革命的な転換点であった。
イザナギとイザナミが天の御柱を中心に回り合い、最初の言葉を交わしたとき、宇宙に「言霊(ことだま)」の原理が確立された。言葉は単なる音ではなく、現実を創造する宇宙的な力である。二神が「産む」という行為によって、日本の八つの大島、海の神・山の神・風の神・火の神など、自然界の根源的な力を持つ神々を次々と産み出した。しかしイザナミが火の神・火之迦具土神(カグツチ)を産んで焼け死んだとき、最初の「死」が宇宙に訪れた。イザナギの涙から生まれた神々は、悲嘆と愛が宇宙の構成要素であることを証明している。生と死、創造と喪失――日本の創世神話は、宇宙の最も深い二律背反を、二柱の神の愛の物語として語る、世界で最も詩的な宇宙論の一つである。